トップページ> 執行部より >【新春賀詞交歓会】講演 埼玉新聞社 代表取締役 丸山晃氏
執行部より

丸山晃氏 / 河野武彦副会長
■講演 埼玉新聞社 代表取締役 丸山晃氏
皆さん、こんばんは。武藤会長様始め、皆様の新しいご活躍をまず心からお祈り申し上げます。
今日は古い話をさせていただきますが、今、埼玉がこうなっているということをお話します。歴史に興味が無いという方でもちょっとお耳を傾けていただきたい。
無縁社会の進展と地域コミュニティー
埼玉県の今人口は716万人です。そして60歳以上の人口が埼玉県で2割に達しました。埼玉県の高齢化は本当に大きな問題です。
高度成長が1950年代から始まりまして、埼玉県は10年で人口が120万人増えました。そして人々は、ベッドタウンとして埼玉を選びました。東武東上線は池袋エリアに勤める人が便利なようになっていて、西武線は新宿に行くのに便利なように住んでいる。他県から埼玉県に移り住んだ人々は今、280万人くらいいるといいます。その65%が核家族です。今日これだけ出席者がいますと、7割近くは奥さんとしか住んでいない、あるいは独りで住んでいる。そうすると、どちらかがいなくなった場合に、独居老人ですよ。これをどうするか、生きていけるのか、最後まで。この前、NHKの『無縁社会』というドキュメンタリーを見ました。埼玉県では1年間で8600人の方々が不審死とされています。ビックリしたことに、亡くなった方の身辺整理など後片付けをするビジネスが生まれたというんです。それが成り立っているっていうんですよね。
最後まで暮らせる地域をどうやって作るのか。これが大きな問題です。故郷がある方はいいですよ。でも、ここ埼玉県が終の棲家と決めたならば、埼玉県に対して優しい目をぜひ皆さん目を向けていただきたいのです。そうすれば埼玉の良さを発見できるんですよ。埼玉県の故郷意識が弱いという理由に、47都道府県で故郷意識を調査したら、埼玉は47位だったんです。埼玉県に住み続け、ここで子供を育て、亡くなっていくわけですから、埼玉県に対して故郷と同じような想いをしっかりと持ってもらって、地域コミュニティーを皆さんに考えていただきたいというのが私の主旨なんです。
玉は稲荷山古墳にある
『玉(たま)』という字が付いているのは、47都道府県中埼玉県だけです。では、『埼玉』というのはどこから来たのかということを今からお話いたします。
埼玉県のマークというのは16個並んだ勾玉なんです。埼玉大学のロゴマークも勾玉の様な形ですし、埼玉新聞のマークも勾玉でPressだからPとなっているんです。埼玉医科大学もマークが勾玉なんですよ。埼玉県の「玉」は勾玉だという共通認識はあるんでしょうね。勾玉というのは宝物のことです。
三種の神器はご存知でしょうか。勾玉は天皇陛下がご自分でお持ちで、鏡は伊勢神宮にあり、剣は熱田神宮にあります。三種の神器の歴史というと、昔源平の最終合戦が壇ノ浦であり、平清盛の女房二位の尼が当時8歳だった安徳天皇と一緒に入水しました。その時に、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と鏡を持って海の中に入ったというお話があります。
行田市のさきたま古墳群にある稲荷山古墳で鉄剣が発見されました。115文字が書かれていて、翡翠の勾玉も発見されました。勾玉が一番多く出てきたのは桶川市の熊野神社です。約123あったそうです。でもこれは発掘調査で出てきたわけではなくて、昭和3年に社殿を造り変えるというので工事した時に発見されたそうです。あまりにもたくさん出てきたものでびっくりして、調査もそこそこに国が持っていってしまったそうです。現在は国の博物館にあります。古墳も時代で埋葬品が変わります。一番古いのは祭祀で、勾玉や鏡など祭祀に関わる副葬品が多く、次に刀や兜など馬に関する物になります。稲荷山古墳というのはひとつの埋葬というわけではありません。前方後円墳の丸い中心部に墓所があり、ここは主の埋葬施設になります。ですからそこが、埼玉県の最初の祭祀をやっていた王族のお墓になっているわけです。
前方後円墳というのは地域のトップの墓です。稲荷山古墳を作るのに今のお金で30億くらいするそうです。日本最大の前方後円墳、仁徳天皇稜は約750億くらいでしょう。全国に前方後円墳があるということは日本の古代の形成過程が連合政権だったという証明なんです。
中国と大いに違うところというと、兵馬俑という秦の始皇帝のお墓がありますね。専制国家だから、あの場所にしかないんです。全国にあるわけではないんです。日本が30億の埋葬施設を10年おきに作ったということは、それだけの地域経済があったということなんです。ひとつの稲荷山古墳を作るのに、延べ30万人くらい動かなくてはいけないんですから。
統一国家を作りましたけれども、地域の連合政権があるんです。それを実証したのは鉄剣に書かれていた、8代に渡って、雄略天皇の杖刀人(じょとうじん)という方達が、親衛隊長を務めていたということです。考古学的には大和朝廷との連携も鏡などのデザインを見て分かるんですが、文字で実証したのは鉄剣だけなんですよ。
土でできた古墳は1500年存続しえたという奇跡です。神社など信仰の対象があったから今も残されているのです。古墳の四角の部分は、昭和13年くらいに地域の土地改良で削ってしまい、無くなってしまったので調査もしないままになってしまいました。前方後円墳だけ残って、たまたま鉄剣が出てきたという。鉄剣の主は親衛隊に勤めていたから、大和朝廷の派遣国作りではという説があります。
さきたま古墳群から1km離れたところに、小見真観寺古墳、八幡山古墳があって関東の石舞台と言われるようにすごい石室がある古墳があります。それで皆さん、古墳を見る機会があったら、周辺をよく見てください。稲荷山古墳は二重掘りになっていて、隣の堀が接しているんです。隣に接して、一緒の方向に向いているというのは、豪族の政権のバトンタッチが上手くおこなわれていたという実証なんです。その後、645年に大化の改新があり、薄葬令が出されました。このような大きなお墓を作るのをやめようというものです。急速にお墓は無くなっていきましたが、およそ250年間さきたま政権は安定した同一一族の中の政権交代がバトンタッチされていたという事がさきたま古墳群で実証されていたわけです。そして、安定した政権で地域経済力があったので、非常に力があったんです。
幸魂(さきたま)の意味するもの
行田市のさきたま古墳公園によると、ここが『埼玉』の県名の発祥の地だとされているようです。『さきたま』と言われ、『さきたま』が埼玉になったと。神道で一霊四魂という思想があります。1つの霊に4つの魂が宿るということです。日本書紀に幸魂(さきみたま)というのが書いてあります。幸魂(さきみたま)、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、奇魂(くしみたま)などというものもあります。伊勢神宮では、愛や慈しむ幸魂(さきみたま)や勇気の勇の荒魂(あらみたま)が祭ってあるんです。今度ぜひ皆さんも伊勢神宮に参拝してみてください。行田市に前玉神社(さきたまじんじゃ)があります。幸魂(さきみたま)を祭っている神聖な所ということで、そのような名前が付けられた可能性は高いのではないかと思います。このことからも、やはり埼玉の玉という字は、やはり魂の『たま』と考えていいんじゃないかと。
1600年に徳川幕府ができたわけですが、徳川幕府はすごい街づくり構想を持っていました。東海道開発や、新田開発など。これらは全部武蔵国の中にできたんです。大きな面積ではないんですが、山手線の内側くらいに世界最大の都市が出来上がったというのは、徳川幕府の壮大な街づくり構想に基づくものでした。本当は武蔵国の中に江戸幕府が無ければ『さきたま』が中心になるんですけれどもね。
これからの埼玉県
私が冒頭言いましたベットタウンとしての埼玉。故郷意識が今始まったことではなくて、江戸の登場、これが武蔵国の大きな転換期だったと思います。さいたま市ができて、それまで浦和が中心でしたが、様々な会社の北関東支店が旧大宮に集まっています。今は、大宮の立地を拠点にして、栃木県や茨城県、山梨県などのマーケットを見るんだそうですよ。この辺りの拠点にどんどん集まっていけば、埼玉県は自立性が高い都市になりますね。武蔵国の誇りとか、これから開ける新しい拠点、ポテンシャルを持っていけば、埼玉県が住み続けられる街になっていくと思うんです。埼玉県に対する温かい気持ちがあれば、必ず良さが見えてきますから。ぜひ埼玉県を好きになっていただきたい。埼玉新聞を好きになっていただくともっといいんですけども。ご静聴ありがとうございました。
丸山晃氏 / 河野武彦副会長
■謝辞 河野武彦副会長丸山社長さん、本日は誠にありがとうございました。埼玉への熱い想いがジーンときました。私は山梨県出身ですが、埼玉に骨を埋める気でずっとやってきました。その想いが思いっきり胸に刺さってきました。こういったお話に初めて出会いました。大きな感動であります。
丸山社長さんの熱い戦後の日本を復興しようという想い、このように皆さんの大きなポテンシャル、埼玉のメンバーが増えております。私達もこの故郷を、埼玉を本当に知り、本当に愛していくには、我々倫理法人会が北関東を代表する又は日本を代表する倫理法人会になれよ、というメッセージと承りました。これからは、埼玉を日本発信地として武藤会長を先頭に倫理法人会を素晴らしいものにしていくように邁進していきます。
本日は誠にありがとうございました。
作成日時:2010年2月23日 13:33
