『苦難福門』   (有)アド・ミカミ  三上忠男氏

三上忠男.jpg 私の甥の結婚式に出席した時。真島さんという社長さんが最初挨拶しました。

 「今日は、おめでとうございます。私は、乞食で盲でした。」

 何で乞食で盲の人がトップバッターで来賓の挨拶するのかなと思いましたが、後で話を聞いてビックリしました。

 

 真島さんは、戦前に早稲田大学の理工学部を出て兵隊に行きました。中国戦線で目の前で爆弾が破裂してめくらになってしまったんですね。体に破片が30数個はいってしまった。終戦になって日本に帰って来ました。

 

 真島さんは、広島県の作り酒屋の独り息子だったんです。その造り酒屋が原子爆弾で全部やられて跡形も無くなった。井戸だけがのこっていたんです。帰って来て親も誰もいない、自分は盲という事で生きる望みが無くなった。

 

 井戸に飛び込もうとして縁に手をかけてまさに両親の許に行こうとすると、たまたまそこに通りかかった人が、

 「何をしているんだ」

 「いやもう私は生きる望みが無くなった、ここに飛び込んで死のうと思ってる。」

 「そんなバカな事をするな」 と引き止められて一命をとりとめたんです。そして、

 「あなた死ぬのだったら、死ぬ前にお父さん、お母さんの菩提を弔いなさい」 といわれて、

 「ああそうだ、我が家は日蓮宗だったなあ。日蓮宗の本山は何処だ。そうだ山梨県の身延山。身延山に行こう」

 ということで広島から私の兄のいる岐阜県の大垣までたどりついた。

 

 パンツに使うゴムひもとか針、縫い針そういう物を売りながら来たんですね。橋の下とか軒先きで宿を取りながら。宿屋をしていた兄の所に、一晩泊めて下さいと宿を乞うて来た。ぼろぼろの乞食、でも兄は、いいですよと泊めてあげたんですね。風呂に入れて、きれいに身サッパリにして、衣服も質素だけれど改めてあげたんです。色々身の上話しを聞くと、素晴しい人なんですね。その一例が、礼状。手紙。ハガキを幾重にも折ってその筋に沿って、先日は大変お世話になりました。その文章がまた素晴しい。

 

 そして又、遥か身延山に向っていったわけです。三百段近い高い石段、健康の人でも大変な場所、わら縄の先に石をくくりつけて、その石をポーンと投げながら石の階段を登っていった。カチンと音がすれば階段があるけれども、音がなければ断崖絶壁、谷底へ転落。

 こうして頂上まで登っていって、お父さん、お母さんの弔いをやった訳です。

 下に降りて来て、富士吉田に来た。そこにおばあさんと娘さん二人だけの八百屋さんがあった。一晩泊めてもらった。そのお婆さんが、いやこの真島青年というのは盲だけども素晴しい。という事で、娘と結婚させちゃうんですね。子供も出来た。でも、盲じゃ不自由だ、なんとかならないかという事で、眼科の医者に見せた。そしたらこの目は直るという事で、手術したらほんとに見えるようになった。

 

 それからの真島さんの働きはすごい。その当時、なけなしの金をはたいてオート三輪を一台買って、そして筆で「ママさんマーケット」と書いた幟旗を立てて、その当時貴重な石鹸とか色々な雑貨を積んで村のほうに売りにいった。それが帰りは空になるくらい売れに売れた。どんどん店が大きくなって、他に出店もした。

 

 他人のやっかみでつぶれるよと中傷などが入ったりしたのを乗り越えて、今は大きなスーパーマーケットの社長さんになっている。人生てすごいな、やれば出来る。とつくづく感じております。

 もし、真島さんが井戸に入って自殺していたらそれで第一巻の終りだったんだけれど、人に助けられて、お父さん、お母さんの菩提を弔って、オート三輪を一台買って、それで仕事をして、今日がある。人生てなんだろう。

 

 「苦難福門やればできる」んですネ。

 

                          (有)アド・ミカミ 代表取締役

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